オウム裁判

今日は松本被告の判決日でしたね。今日は卒業試験ということもあって、判決の進行具合を報道特別番組で垣間見ることができました。当初の予想通り死刑判決となりましたが、その死刑判決を受けてのコメントで一番印象に残ったのが、横浜法律事務所の弁護士の方(故坂本弁護士の同僚の方でしょうかね)のコメントでした。彼は3年ぶりに公判で松本被告を見たそうですが、その後ろ姿を見てのコメントが「非常にくたびれてる印象を受けた」のだそうです。坂本弁護士の遺体確認も彼はされたそうですが、そこでは公判の際に弁護側の主張としてあった「坂本弁護士とされる遺体は本当に本物であるのかどうか」という問いに対して、「あれは紛れもなく坂本であった」とコメントしております。被害者の方で傍聴されていた方は、やはり心情的なものもあって私にはその気持ちと言いますか、思いはあまり伝わってこなかったです。やはり私は第三者ですので、いかに感情移入をしたとしても当事者の気持ちを完璧に理解することは不可能ですし。そのような当事者の方のコメントとは全く別の視点から今回の一連の公判についてコメントをされた彼は、どちらかというとジャーナリスト的な視点からのアプローチを試みてるせいか、私には非常に分かりやすく、その内容も伝わってくるものがありました。

結言に彼は「この257回目の公判で彼(松本被告)を見るのは最後かもしれない」と残しました。1審では被告人に出廷義務が生じますが、控訴審上告審では出廷権利はあるものの義務はありません。従って被告人のいない裁判が進行できるわけで、そう思うと何かやるせない感情を抱いてしまいます。時間の経過の重さといいますか、もう真実を突き詰めることはできないわけで、人間社会の不完全さと言えばあれですが、仕方ない側面をテーゼとして突きつけられると、いささかやりきれない思いですね。