正義的感情の行方

人の人生を人が狂わせるというのは一見許し難い行為で片づけられそうなのですが、実際そんな生易しいものではありません。人の人生を狂わせるというのは現実的に実は容易であったりするので、単に「許せない」等といった正義的な感情だけで片づけるわけにはいかない場合が多々あるからです。

昨日6月23日に、ある裁判の公判が行なわれました。あまり大々的に取り上げられたニュースでもなく、かつ事件が風化しているような感も否めないのですが、私の知っている方(Aさん)がAさんの通っている学校の教師に慢性的な性的暴行を受けてPTSD及び双極性鬱病を患い、結果として突発的に自殺してしまったのですが、その件に関する刑事裁判(自殺前に親告していました)の公判です。勿論私は公判を聞きに行く事はできずに公判終了後状況を聞くのみに至ったのですが、まあ相変わらず被告人はしゃあしゃあとしていたようで、怒りを覚えます。といっても怒りを覚えるだけでは物事が解決しないのは自明ですので、本当に微弱な私の力ではありますが、故人の無念を晴らすために最大限協力できたらなと再自覚させられる1日でした。